2012年2月29日水曜日

The next work of Art in the age of Informational Reproduction - 1

Today I read my Time Line in the Twitter, I found an interesting Tweet.
今日、タイムラインを眺めていたら、ちょっと気になるツイートを見かけました。





Well, there is some change in a singer's vocalization according to the linked article.
さて、このリンク先の記事を読むと、最近のボーカリストの発声が何かおかしいらしい。


I quote most important part for me from the article .
重要だと思われる部分を少し、引用してみたい。

まっすぐ歌うボーカリストが多い

《節回し(しゃくり)が全く出来ていない、というかやっていない》ということです。歌の入りから語尾までまっすぐ歌っているのです。

どうしてそんな不自然な歌い方をするのでしょうか?

これは最近の音楽業界が作っているCDに問題があるのでは?と思えてなりません。

実際にデビュー予備軍のボーカリストに「どうして語尾も含めてまっすぐ歌うの?」と私が訪ねると、「私が好きなアーティストがそう歌っているから」と答えました。

愛情のない歌の直しがはびこっている

最近はDAWの発達でいとも簡単に歌を直せてしまうため、音楽制作者側が音程や節回しを直し過ぎている現状があります。せっかくナチュラルな良い節が入っている歌を、むやみやたらとまっすぐ線を引くように、直してしまうのです。

…(中略)…

以前【ボーカルエディット】の記事にも書きましたが、通常皆さんが聴いているCDは、ボーカリストが何本かレコーディングした歌の中で、良い部分を選んで、それをつなげて1本の歌にしているんですね。

歌選び(ボーカルセレクト)をきちんとした歌は、ピッチ修正やタイミングを直すより、とても良い歌に仕上がります。
ただ、ボーカルレコーディングは通常6~7回は歌うので、当然膨大な量の言葉を聴き分ける事になり、かなり大変な作業になります。


10 years ago I was working on DTM and recording musics so that i know to compile musical fragments into one works takes much times and is hard work.

一応、オレも10年前くらいに、DTMとかレコーディングとかやったことあるので、このあたりの作業は半端無く時間がかかる大変な作業だったと記憶しています。



Especially 10 years ago, instruments called sampler(like AKAI MPC2000XL or Roland MC-808) was commonly used, to create music is to compile some sampled sounds into one music.

特に10年前はサンプラーと呼ばれる楽器(赤井電機のMPC2000XLとかRoland MC-808など)が一般的によく使われていて、音楽の制作というのは収集したサンプルを組み立ててひとつの楽曲に編集する作業といっても過言ではありませんでした。


Sometimes we took a cool sample sounds from records or CDs which inspired us to create new works.

時にはレコードやCDなどのカッコイイ音は新しい曲を作るモティベーションにつながりました。


By the way, these style of creating work of art, to make works with by copying and pasting amount of fragmentation, had been already mentioned by some critics 40 - 50 years ago. In them there are Jack Derrida having mentioned it as "ecritur", and Walter Benjamin in his 'The Work of Art in the Age of Mechanical Reproduction'.

しかし、これらの手法というのは既に40~50年前の批評家たちからすでに登場することがすでに言及されていました。例えば、ジャック・デリダは『エクリチュール』という概念でそれを指摘していたし、ヴァルター・ベンヤミンも『複製技術時代の芸術作品』という本で指摘しています。


We can imagine the thought of them via cinema. For example, Yasujiro Ozu, Japanese famous movie director, might think that editing and compiling fragment is most important phase of creating movie. His movie is was construct of small parts of fragment shots.

映画を通してその考えは理解できる。例えば、小津安二郎、日本を代表する映画監督は、編集こそが映画を作り上げると考えていた節がある。彼の映画は小さなショットの連続で構成されている。


to be continued...

続く

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