多分、私をTiwtterでフォローしていただいている方は最近の私の生活ぶりをよくご存知であると思う。
どいういう生活かというと、冬になってから、一日の睡眠時間が平均20時間程度になっているのである。
ちなみに一日の睡眠時間が平均20時間程度というのはどういう状態かというと、おおよそ次のような感じである。
- 朝10:00頃目が覚める
- 朝食を食べるとすぐに強烈な眠気が襲ってくる。(10:30くらい)
- 寝ると次に起きるのが13:00くらい。
- 一応昼ごはんを食べてみるが、すぐに眠くなる(13:30)
- 寝ると次に起きるのが夕方18:00くらい。
- お腹は空いていないので、ネットにつなげて何らかの作業をするが、1時間くらいで力尽きて、寝る(19:00)
- 次に起きるのが22:00くらい。ネットにつなげて何らかの作業をする。やはり1時間くらいで力尽きる。(23:00)
- 次に夜中の1:00くらいに起きる。これも1時間くらいが限度。
実際にはこれらは日によって流動的なので、実際にこのような感じの生活をしているわけではないが、
だいたい似通ったものである。
そうすると、気になるのが、会社へ務めているのかとか、
社会人としてどうなのかという心配が発生する。
実際、多分、私のトップゲート内での信用はガタ落ち状態だと思う。
季節性うつ病?!
このような生活をしていると、
社会から孤立し、
社会からは必要のない存在であると認識し、
社会人として失格である
という至極当然なダメ烙印というのが自分の頭の中で何度も繰り返される。
人間、自分にこのような烙印を何度も繰り返し強制的に頭で描いていると、
本当に自分はこのような人間なのであると自己暗示されてくる。
すると、時折、自殺したい衝動に駆られてしまうこともある。
とはいえ、自殺なんかしたら痛そうだし、苦しそうだしで、実行には移せない。
また、繰り返し頭の中で、この思考を繰り返していると、
本来考えるべき問題も考えることができなくなってくる。
ちなみに、これは春とか夏などでは発生しない。
冬限定なのである。
これは一般的に季節性うつ病の症状と一致している。
季節性うつ病状態でのアイデア
社会人としては不健全な状態の冬季期間の状態だが、
実は結構色々といいと思えるアイデアが出てくるのが不思議である。
- ITエンジニアへの高校レベルの数学教育勉強会を開催したら、結構集まりそう
- GAE + Androidで汎用的な学習参考書アプリが作れそう。
- 最近postしているベンヤミンとかの思想系の読書が捗る
- JavaFXをjavascriptのテストのフレームワークとして利用できないかというアイデア。
例えば、『不完全性定理』で有名なクルト・ゲーデルも彼の精神状態が不安定な時ほど、
いい仕事をしていたと言われている。
クルト・ゲーデルの生涯を見ていると、結構自分と似ているところがあったり、
他の人のアイデアを少し改良して提示してみるというスタイルも同じだったりして
非常に親近感がわく。
…まあ、そんなことはどうでもいいんだが…。
発達障害
実は私はこれまでもこんな冬になると途端に人間の生活から撤退してしまうものだから、
まともな人間関係が築けたことがないのであって、
こういう状態をどう対処していけばいいのかを相談する友人なども存在しない。
また、その一方で、好調な時でも、
計画性がないとか、コミュニケーションが上手くないとか、行間を読めないだとか、
言われたことの半分位を理解できていないだとか、自分が伝えたいことがうまく言語化できないだとか、
が発生する。
また比較的多くの人が共有できているコンテキストとは逆方向のコンテキストをいつの間にか共有してると思い込んでいて、まあ、後でトラブルになったり。
考えが適当なのは前からだけど、本当に場当たり的に適当に返したりしていて、何を考えているか相手に理解してもらえなかったり、
その結果、「で?」と言われて、何を返して欲しいのかがわからなくて答えに屈したり。
なんかここらへんの状況がどうも最近よく言われる
『大人の発達障害』という症状に似通っていて、
まあ、「発達障害」なんていうと、普通の人に劣っているところがあって、それはそれでしゃくにさわったりする。
で、悩んでいるのが
そこでですよ、私自身、非常に悩んでいるのが、そして何年も違和感を抱きつつなんとかごまかしてきたけど、
もはやこの歳では確信するに至った悩みというのが、
私は一般的な社会人として生活できないのではないか?
ということなんですよ。
例えば、人月計算。
これは人間という存在が工学的に計測可能であり、時間に伴う変化を起こさない前提でなされる議論である。
しかし、こと私に関しては、時間に伴う変化は激しいし、その出力は安定しない。
例えば、企業の雇用
これは先の人月計算と同じだが、春夏秋冬を通じて、人間の能力が一定値であることを前提とした雇用契約を行なっているのだが、
私は明らかに春夏秋くらいは大丈夫かもしれないが、冬はどうしようにもない。
例えば、資本主義的な議論
マルクスの資本論においては、季節に関する言説は出てこない。
これはまぐれではないと思っている。
貨幣における交換とは季節とは関係なく行われる。
というわけで、資本主義的な社会において前提としている人間観、
常に一定の出力を有し、それを元に計画を立て、その計画・出資からさらに資本を産み出す人間、
このような人間、つまり一般的な社会人という枠組みに私は入ることができないのではないかということ。
つまり、人間として不的確な人間であるこの私が人間として生きることは可能なのであるかという問い。
これが今私をして悩ませている問題なのである。
親友?
何それ美味しいの?
というくらい、人付き合いは悪い。
これも、春出会って、冬になると音信不通になるとか、
面と向かった時に特に喋る言葉が思いつかないので、
相手方からは「何を考えている人かわからん、キモイ」、私からは「どういう人なのかわからなかった」
という結果になり、友情的なものは何一つ生み出せないし、
信頼関係を作り出すこともできない。
したがって、自分がこれからどうすればいいのかという問題には常に一人で回答を出してきたし
(一般的な社会人でないので、その回答は一般的なそれとは相反する回答であったわけだし)
要は親友などだれひとり居ないのである。
親は?
こういう場合は、親に相談するのが、まあ一般的になるのだろう。
だが、残念ながら私は親をあまり信用していない。
これは小学6年生くらいのころからもう信用していない。
いや、もっと前、5歳くらいの頃から信用していない。
5歳くらいの時、私はビートたけしが好きで、『オレたちひょうきん族』を非常に好きであった。
父親はビートたけしが大嫌いで『オレたちひょうきん族』が放映されると、ジャイアンツの番組にチャンネルを変えた。
父親は言う「たけしのようなくだらない人間は大嫌いだ」。
私は思う「たけしは確かにくだらない言動で笑いを誘うが、笑いを取れるというのはある人間の心理を理解した上で安心を与えられる能力のことである」と。
父親は言う「たけしはくだらない」。
私は思う「たけしは修行時代に多くの映画を見て、おそらく本もたくさん読んだ。たけしはかなりの教養人である。」と。
私は比較的西欧の思想が大好きで、マルクス、ベンヤミン、フロイト、ジル・ドゥルーズ、ハイデガーなどのおやじの世代の人が繰り返し読んできたであろう思想の類が非常に好きである。
だが、父親は父親の世代が繰り返し議論し、共通の教養となっているべきこれらの思想について、なんらの思想を持たない。
会話が全く合わないのである。
うちの家族は今母親を十年前に亡くし、父・姉・私の状態なのであるが、多分全員バラバラである。
ちなみに遺伝的な部分ではどうあるかというと、姉は父に似て、骨格の作りだとかがかなり似ている。
私は母に似ていると感じている。
そして、母の家系は癌で亡くなる家計である。
おそらく、私は人生の早い段階で癌でなくなるであろう。
ちょっと話がずれた。
小学6年生の頃から信頼していないという話しに戻そう。
私達家族は私が小学5年生までは広島に住んでいた。
小学6年になる段階で、引越しをするという決定を父親が決定した。
それは父親はいずれ関東に戻る。その時に姉の進路の心配して千葉に戻るという決定を下したのだ。
それは全く構わない。姉は千葉に戻ればいい。それに母親がついていくのも全く構わない。
私はそれでも広島に残りたかった。
私は広島県民として広島の誇りを持ちつつあった。
広島の小学校を卒業したい、広島の中学校を卒業したい、広島の高校を卒業したい。
これは広島で物心がついた子供が思う当然の願いだった。
私はこの引越には猛反対で、3日間粘って、抵抗した。
無理矢理という形で私は広島から引き剥がされた。
この頃からアイデンティティを私は失ったといって過言でないだろう。
私には故郷はない。
これがひどいアイデンティティの喪失であるというのは否めない事実だと思っている。
アイデンティティに支えられた自我というのはあるのではないかと思う。
しかし私にはそのような自我はない。
第一者に左右され、反論も許されず、なんの発言も効力を持たないそんな自我があるだろうか?
これは自我の成長を妨げる一因だと思っている。
まあ、いずれにせよ、このことが私の認識している「大人の発達障害」に関連があるかどうかは定かではない。
ただ、なんの発言も効力を持たないと認識した人間が何らかの意見を求められて、自分の考えを伝えることができるだろうか?
おそらくできないだろう。
実際、千葉に戻ってからの私は中学生の時に、自分の考えがどうしても言語化できないという深刻な事態が発生しているということは認識していた。
まあ、というわけで、悩みを相談するに、私は自分の親族に頼れない。
信頼していないからだ。
結論
今、現在トップゲートの加藤社長との信頼関係はズタボロであると考えてもらっていいだろう。
それは私の冬に発生する季節性うつ状態、安定しない精神状態、発達障害、これらが元になっていることに違いはない。
そして、これは加藤社長とだけの問題でなく、他の会社に就職するにせよ、どうするにせよ、
私は今の自分の置かれた身体的状況を受け入れつつ社会に容認されていくようにしていかなければならない。
だから、私自身は独立しようかと本気で考えている。
会社のスタンスとして、私の身体的な状況を最優先として出来うる範囲の仕事を行う。
冬は何もしない。
こんな会社を作るべきなのかどうか本当に悩んでいる。
なんの特殊な、尖った技術なしに。